一、因州侯の医師稲村三伯といふ男あり。その国に在りて蘭学階梯を見て憤発して江戸へ下り、玄沢が門をたたき、この業を学び、後にかのハルマといふ人著せる言辞の書を石井恒右衛門に依りて訳を受け、十三巻といふ和語解訳の書を編せり。そのはじめ玄沢が石井へ介をなし、原書も借し与へたりと。その初稿は宇田川玄随、岡田甫説といふもの加功して、時々石井が許に往来して成就せりと。訂正の時に至りては、他に力を添へしものありとも聞けり。後、故ありて侯邸を退き、近国海上郡の辺に浪遊し、遂に名を随鴎と改め、京師に在りて専らこの業を唱へしよし。今はこれも古人となれりと聞けり。しかし釈辞の書を企て成せしは初学者のために一功といふべし。



