一、翁が初一念には、この学今時の如く盛んになり、かく開くべしとは、かつて思ひよらざりしなり。これわが不才より先見の識乏しきゆゑなるべし。今に於てこれを顧ふに、漢学は章を飾れる文ゆゑ、その開け遅く、蘭学は実事を辞書にそのまゝ記せしものゆゑ、取り受けはやく、開け早かりしか。また、実は漢学にて人の智見開けし後に出でたることゆゑ、かく速かなりしか、知るべからず。しかれども、この業の自然に開くべきの気運にや、このころより、前に記せる東奥の建部氏、翁には二十歳ばかりも長じたる翁なるが、不思議に書牘の往復ありしが、わが答書を得て実に狂喜ただならずと申し越せし趣きなれども、身の老朽を如何せんとて、その息亮策をわが門に入れ、続いて、その門人大槻玄沢といふ男をさし登せて同じくわが門に入れたり。この男の天性を見るに、凡そ物を学ぶこと、実地を踏まざればなすことなく、心に徹底せざることは筆舌に上せず。一体豪気は薄けれども、すべて浮きたることを好まず。和蘭の窮理学には生れ得たる才ある人なり。翁その人と才とを愛し、務めて誘導し、後にはただちに良沢翁に託してこの業を学ばせしに、果して勉励怠らず、良沢もまたその人を知りて骨方を伝へしゆゑ、程なくかの書を解することの大概をさとれり。その際、同僚淳庵、桂川法眼、また福知山侯などと往来してこの業を講究せり。また大いに志を興し、この上は西遊して長崎に至りただちにかの通詞家に従ひ学び試みたきよしをはかりしゆゑ、われも良沢も喜び許し、汝壮年行ケ矣、勉メヨヤ、そのことを済まさば宿業ますます進むべしと慫慂せしにより、いよいよ憤起して志を負笈に決したり。しかれどももとより貧生のことなれば力の及ばざることどもなり。翁、その志に感じ、専らその力を助けんと思へども、翁もそのころは生計かたく、思ふほどならねども、力の及べるだけはこれを助け、且つ御同学たりし福知山侯も浅からぬ恩遇ありて、やがてかの地にいたり、本木栄之進といへる通詞家に寄宿し、教へを受け、また彼に問ひ、此に謀り、油断なく修行して帰府したり。爾後は江戸永住の人となることを得たり。さて、嘗て編集し置ける蘭学階梯といふ書ありしを、帰府の後、蔵版して同志に示せり。この書出でし後、世の志あるもの、これを見て新たに憤排し、志を興せしもまた少からず。この人を生じ、これらの書の出づることとなりしも、翁が本志を天の助け給ふの一つにやと思ひしことなり。



