一、縮図既に成り、本篇も出版にもなりしかども、前条にいへるごとく、紅毛談さへ絶版となりしほどのことなれば、西洋のことはかりそめにも唱ふることはならぬことにや、しかし、和蘭はその中にても格別なるにや否のところ不分明にて、きつとこれは苦しからずといふことも決しがたく、若し私かにこれを公にせば、万一禁令を犯せしと罪蒙るべきも知られず。この一事のみ甚だ恐怖せしところなり。しかれども横文字をそのまゝに出だせるにはあらず、且つ読みて見ればその姿は知れることなり、わが医道発明のためなれば敢て苦しからずと自ら決定し、何れにも翻訳といふことを公にする初めを唱ふべしと、ひそかに覚悟を極めて決断せしことなり。但し、これはそのことの最初なれば、何とぞこの一部恐れ多くも冥加のため、公儀へ献じ奉りたき志願なりしが、幸ひ同社桂川甫周君の御父甫三君は、前にもいへる如くの御旧友なりければ、この法服に謀りしに、その取扱推挙により御奥より内献し奉りぬ。かく障りもなく事済みしはありがたき御事なりき。また翁が従弟吉村辰碩は京都に住居せり。この人の推挙を以て、時の関白九条家並びに近衛准后内前公及び広橋家へも一部づつ奉りぬ。〈これによりて三家より目出度き古歌を自ら染筆して賜はり、また東坊城家よりは七言絶句の詩を賦して賜はりぬ。)尤も時の大小御老中方へも同じく一部づつ進呈したり。何方とても何の障れることもなく相済みぬ。これらによりて大いにこの挙に於ける安堵をなしたりき。これ和蘭翻訳書公になりぬるはじめなり。〉



