一、過ぎこしかたをかえりみるに、未だ新書の卒業に至らざるの前に、かくの如く勉励すること両三年も過ぎしに、ようやくその事体も弁ずるやうになるにしたがひ、次第にさとうきびを囁むが如くにて、その甘味に喰ひつき、これにて千古の誤も解け、その筋たしかにわきまへ得しことに至るの楽しく、会集の期日は、前日より夜の明くるを待ちかね、児女子の祭見にゆくの心地せり。さて、都下は浮華の風俗なれば、他の人もこれを聞き伝へ、雷同して社中へ入り来りしものもありたり。その時の人々を思ふに、遂ぐるも遂げざるも、今はみな鬼録上の人のみ多し。嶺春泰、烏山松円といへる男などは、頗る出精せしが、今は則ち亡し。同僚淳庵なども新書上木後なりけれども、五十に満たずして世を早うせり。そのころ往来せし者にて、今に生き残りしは、翁などよりは、はるか歳下の人なれども、弘前の医官桐山正哲までなり。またその頃この業の着実なるを知れるものは格別、たえて知らざるものは、大いに怪しみ疑ふもの多かりき。さて、集り来りたる者の内にも、その業のはかばかしからず、それと突き留めもなき面倒なることゆゑ、遂に精力尽きはて、または今日の生計に逐はるゝ人はそのしるし見えざるに倦み、且つは已むを得ず中道にして廃するといへる族も多かりき。またはたまたま志厚かりし者も、多病にして事ならず、早世せしもあまたありたり。最初より会合ありし桂川甫周君は、天性穎敏、逸群の才にてありしゆゑ、かの文辞章句を領解し給ふことも万端人より早く、未だ弱齢とは申せ、社中にても各々末頼もしく芳しとて賞嘆したりき。尤もその家代々和蘭流外科の官医なる上、その父甫三君は青木先生よりアべセ二十五字をはじめ、僅かながらも蘭語なども伝はり給ひしを聞き覚え、少しはその下地もありし故にや、退屈の様子もなく、会ごとには怠りなく出席したまへり。



