蘭学事始 - 22

一、さてこの書を読みはじむるに如何やうにして筆を立つべしと談じ合ひしに、とてもはじめより内象のことしは知れがたかるべし、この書の最初に仰伏全象の図あり。これは表部外象のことなり。その名処はみな知れたることなれば、その図と説の符号を合せ考ふることは、取付きやすかるべし。図のはじめとはいひ、かたがた先づこれより筆を取り初むべしと定めたり。即ち解体新書形体名目篇これなり。その頃はデの、へットの、またアルス、ウエルケ等の助語の類も、何れが何れやら心に落付きてわきまへぬことゆえ、少しづつは記憶せし語ありても、前後一向にわからぬことばかりなり。たとへば、眉といふものは目の上に生じたる毛なりとあるやうなる一句も、彷彿として、長き春の一日には明らめられず、日暮るゝまで考へ詰め、互ひににらみ合ひて、僅か一二寸ばかりの文章、一行も解し得ることならぬことにてありしなり。また或る日、鼻のところにて、フルへッヘンドせしものなりとあるに至りしに、この語わからず。これは如何なることにてあるべきと考へ合ひしに、如何ともせんやうなし。その頃ウヲールデンブック〈釈辞書〉といふものなし。ようやく長崎より良沢求め帰りし簡略なる一小冊ありしを見合せたるに、フルへッヘンドの釈註に、木の枝を断ち去れば、その跡フルへッヘンドをなし、また庭を掃除すれば、その塵土集まりフルへッヘンドすといふやうに読み出だせり。これは如何なる意味なるべしと、また例の如くこじつけ考へ合ふに、わきまへかねたり。、時に、翁思ふに、本の枝を断りたる跡癒ゆればうずたかくなり、また掃除して塵土集まればこれもうずたかくなり。鼻は面中に在り堆起せるものなれば、フルへッヘンドは堆〈ウヅタカシ〉といふことなるべし。しかればこの語は堆と訳しては如何といひければ、各とこれを聞きて、甚だ尤もなり、堆と訳さば正当すべしと決定せり。その時の嬉しさは、何にたとへんかたもなく、連城の玉をも得し心地せり。かくの如きことにて推して訳語を定めり。その数も次第次第に増しゆくこととなり、良沢のすでに覚え居し訳語書留をも増補しけり。その中にもシンネン〈精神〉などいへること出でしに至りては、一向に思慮の及びがたきことも多かりし。これらはまた、ゆくゆくは解すべき時も出来ぬべし。先づ符号を付け置くべしとて、丸の内に十文字を引きて記し置きたり。その頃知らざることをば、轡十文字と名づけたり。毎会いろいろに申し合せ、考へ案じでも、解すべからざることあれば、その苦しさの余り、それもまた轡十文字、轡十文字と申したりき。しかれども為すべきことはもとより人にあり、成るべきは天にありのたとえの如くなるべしと。かくの如く思ひを労し、精を研り、辛苦せしこと一ケ月に六七会なり。その定日は怠りなく、わけもなくして各と相集まり会議して読み合ひしに、実に不味者は心とやらにて、凡そ一年余も過ごしぬれば、訳語もようやく増し、読むにしたがひ自然とかの国の事態も了解する様にて、のちのちはその章句の疎きところは、一日に十行も、その余も、格別の労苦なく解し得るやうにもなりたり。尤も毎春参向の通詞どもへも聞きただせしこともあり。またその間には解屍のこともあり。また獣畜を解きて見合はせしこともたびたびのことなりき。