一、この風右の如く成り行けども、西洋のことに通じたりといふ人もなかりしが、たゞ何となくこのこと遠慮することもなきやうになりたり。蘭書など所持すること御免といふことはなけれども、まゝ所持する人もある風俗に移り来れり。同藩の医中川淳庵は、本草を厚く好み、和蘭物産の学にも志ありて、田村藍水、同西湖先生などとも同志にて、毎春参向せる和蘭通詞どものかたにも往来せり。明和八年辛卯の春かと覚えたり、かの客屋へ至りてターヘル・アナトミアとカスバリュス・アナトミアといふ身体内景図説の書二本を取り出し来り、望む人あらば譲るべしといふ者ありとて持ち帰り、翁に見せたり。もとより一字も読むことはならざれども、臓腑、骨節、これまで見聞するところとは大いに異にして、これ必ず実験して図説したるものと知り、何となく甚だ懇望に思へり。且つわが家も従来和蘭流の外科と唱ふる身なれば、せめて書筐の中にも備へ置きたきものと思へり。しかれどもその頃は家甚だ窶々しくして、これを求むるに力及びがたかりしにより、わが藩の太夫岡新左衛門といへる人の許に持ち行き、しかじかの次第なればこの蘭書求めたしと告げたり。しかれどもカの足らざるは是非なしと語りしかば、新左衛門聞き、それは求め置きて用立つものか、用立つものならば価は上より下し置かるゝやう取計ふべしといへり。その時、翁、それは必ずかうといふ目当とてはなけれども、是非ともに用立つものになし、御目にかくべしと答へり。傍に倉小左衛門〈後に青野と改む〉といふ男居たりしが、それはなにとぞととのへ遣はさるべし、杉田氏はこれを空しくする人にはあらずと助言したり。これにより、いと心易く願ひも叶ひ望みの如くととのひ得たり。これ翁の蘭書手に入りしはじめなり。



