蘭学事始 - 08

一、翁が友豊前中津侯の医官前野良沢といへるものあり。この人幼少にして孤となり、その伯父淀侯の医師宮田全沢といふ人に養はれて成り立ちし男なり。この全沢博学の人なりしが、天性奇人にて、万事その好むところ常人に異りしにより、その良沢を教育せしところもまた非常なりしとなり。その教へに、人といふ者は、世に廃れんと思ふ芸能は習ひ置きて末々までも絶えざるやうにし、当時人のすててせぬことになりしをばこれをなして、世のために後にその事の残るやうにすべしと教へられしよし。いかさまその教へに違はず、この良沢といへる男も天然の奇士にてありしなり。専ら医業を励み東洞の流法を信じてその業を勤め、遊芸にても、世にすたりし一節切を稽古してその秘曲を極め、またをかしきは、猿若狂言の会ありと聞きて、これも稽古に通ひしこともありたり。かくの如く奇を好む性なりしにより、青木君の門に入りて和蘭の横文字とその一二の国語をも習ひしなり。〈後にその著せし蘭訳筌といふものを見るに、それより以前のこととみえしに、同藩の坂江鴎といふ隠士、一日蘭書の残篇を良沢へ見せ、これは読みわけ解すべきものにやといひしに、これを借り受けてつらつら思ふに、国異に言殊なるといへども、同じく人のなすところにしてなすべからざるところのものあらんやと志せしに、さてこれに取り付くべきの便りなきをうらみ居たりしことなり。それよりふと青木先生この学に通じ給ふと聞き、遂にその門に入りてこれを学び、和蘭文字略考などといふ著書を授かり、先生の学び識れるところをば聞き尽せりとなり。〉これは青木先生長崎より帰府の後のことと聞ゆ。先生長崎へ行かれしは延享の頃にやと思はる。良沢の入門は宝暦の末、明和の初年、歳四十余の時なりしか、これ医師にて常人の学べるはじめなるべし。