蘭学事始 - 05

また古来カスバル流といふ外科あり。これは寛永一十年、南部山田浦へ漂流ありし和蘭船の人数の内、江戸へ召し呼ばれたる中に、カスバル某といふ外科あり。三四年留め置かれ、その療法を学ばせられし者もありしが、追々長崎へ御送りのよし。江戸並に長崎にても、正保の頃、このカスバルより伝来の療法ありしを、詳かなる事を知らざれども、後にカスバル流と唱ふることと申すことにや。また別にカスバル姓の外科渡来のこともありしか。この他長崎にて吉雄流などいへるは、その後渡来の蘭人より伝へ得たる療法もありて吉雄流とも申せり。その諸家の伝書といふものどもを見るに、みな膏薬油薬の法のみにて、委しきことなし。かくの如き類にて、備はらざる事のみなれども、その業は漢土の外科には大いに勝り、また本邦の古へより伝はりたる外治には大いに勝れりといふべきか。そのうちに翁が見たる楢林家の金瘡の書といふものあり。その中に人身中にセイヌンといへるものあり。これは生命にあづかる大切のものなりと記せり。今を以て見れば、これセーニューにして、神経と義訳せしものと思はる。わづかながらこれ程のことを聞寄せしはこの書を初めとすべし。