蘭学事始 - 04

一、桂川家の御事は、今の代より五世の祖甫筑先生と申せしは、文廟未だ藩邸におはせし時召し出されし御外科なり。その師家は平戸侯の医師にて、嵐山甫安と申したるよしなり。この甫安はその侯より、出島在館の和蘭外科に御託し置かれて親しく学ばせ給ひしとなり。この御家は、平戸へ入津以来、かの国の人のことは訳品ありて御親しみ御自由なることのよし。またその時代は、今の如くにもなかりしにや。甫筑君その頃幼君にて門人となり、師に付添ひて出島へも時々参られしが、専ら嵐山の流法を伝へ給ひしとなり。和蘭の外科はダンネルとアルマンスといふ人ときけり。桂川、もとは大和の国の人にて、森島氏なりしが、嵐山の流を汲むといふ意にて家名を桂川と改め給ふとなり。今の桂川君の御祖父甫三と申せしは、翁若かりし時、常に交厚かりし御大なりしゆゑ、このこと語り給へるを聞き置き侍りぬ。これを世に桂川流と称しぬることなり。