蘭学事始 - 45

一、一滴の油これを広き池水の内に点ずれば、散って満池に及ぶとや。さあるが如く、その初め、前野良沢、中川淳庵、翁と三人申し合はせ、かりそめに思ひつきしこと、五十年に近き年月を経て、この学海内に及び、そこかしこと四方に流布し、年毎に訳説の書も出づるやうに聞けり。これは一犬実を吠ゆれば万犬虚を吠ゆるの類にて、その中にはよきもあしきもあるべけれども、それはしばらく申すに及ばず。かくも長命すれば、今の如くに開くることを聞くなりと、一たびは喜び、一たびは驚きぬ。今この業を主張する人、これまでのことを種々の聞き伝へ語り伝へを誤り唱ふるも多しと見ゆれば、あとさきながら覚え居たりし音語をかくは書き捨てぬ。