蘭学事始 - 44

一、昔、長崎にて西幸三郎はマーリンの釈辞書を全部翻訳せんと企てしと聞きしが、手はじめまでにて、事成らずと聞けり。明和安永の頃にや、本木栄之進といふ人、一二の天文暦説の訳書ありとなり。その余は聞くところなし。この人の弟子に志築忠次郎といへる一訳士ありき。性多病にして早くその職を辞し、他へゆづり、本姓中野に復して退隠し、病を以て世人の交通を謝し、ひとり学んで専ら蘭書に耽り、群籍に目をさらし、その中かの文科の書を講明したりとなり。文化の初年、吉雄六次郎、馬場千之助などいふ者、その門に入りて、かの属文並びに文章法格等の要を伝へしとなり。この千之助は今は佐十郎と改名し、先年臨時の御用にて江戸に召し寄せられしが数年在留し、当時御家人に召し出され、永住の人となり、専ら蘭書和解の御用を勤め、この学を好めるもの、皆その読法を伝ふることとなれり。わが子弟孫子、その教へを受くることなれば、各々その兵法を得て、正訳も成就すべし。さて、忠次郎は本邦和蘭通詞といへる名ありてより前後の一人なるべしとなり。若しこの人退隠せずして在職にてあらば、却ってかくまでには至らざるべきか。これ、或は江戸にてわが社の師友もなくして、推してかの国の書を読み出だせることのはじまりしに、かの人も憤発せるのなすところかとも思はる。これまた昇平日久しく、これらのことも世に開くべきの気運といふべし。