蘭学事始 - 42

一、玄沢は先にその名はやく成りて、近頃官府よりして新たに御蔵和蘭の書翻訳の台命をこうむりしに至りぬ。昔、翁が輩のかりそめに企てし学業なりしに、今、翁が世にありて顕らかにかかる厳命をこうむり奉りしは、冥加にもありがたく、翁が宿世の願ひ満足せりといふべし。なにとぞ生民広済のためにと思ひ立ちてとりつきがたきこのことに刻苦せし創業の功、終に空しからず。続いて玄真もまた同様の命をこうむり、相ともにこれに従事せることとなれり。仰いで感戴するに堪へざるところなり。尤も、これ他にもあらず、翁が誘導せしわが門の徒弟にしてこの盛挙にあづかれる、老が身の本懐また何をかこれに加へん。翁が高齢を賜はりし天禄もありがたく、当時草葉の蔭と揮名せられしわが身、今もなほ聖代にながらへてその全備を見せしめ給ふこと、限りなきの恩光、旻天の冥感にやあらん。