蘭学事始 - 20

一、帰路は、良沢、淳庵と、翁と、三人同行なり。途中にて語り合ひしは、さてさて今日の実験、一々驚き入る。且つこれまで心付かざるは恥づべきことなり。いやしくも医の業を以て互ひに主君主君に仕ふる身にして、その術の基本とすべき吾人の形態の真形をも知らず、今まで一日一日とこの業を勤め来りしは面目もなき次第なり。なにとぞ、この実験に基づき、大凡にも身体の真理をわきまへて医をなさば、この業を以て天地間に身を立つるの申訳もあるべしと、共々嘆息せり。良沢もげに尤も千万、同情のことなりと感じぬ。その時、翁、申せしは、何とぞこのターヘル・アナトミアの一部、新たに翻訳せば、身体内外のこと分明を得、今日治療の上の大益あるべし、いかにもして通詞等の手をからず、読み分けたきものなりと語りしに、良沢曰く、予は年来蘭書読み出だしたきの宿願あれど、これに志を同じうするの良友なし。常々これをなげき思ふのみにて日を送れり。各々がたいよいよこれを欲し給はば、われ前の年長崎へもゆき、蘭語も少々は記憶し居れり。それを種としてともども読みかかるべしやといひけるを聞き、それは先づ喜ばしきことなり、同志にて力を致せ給はらば、憤然として志を立て一精出し見申さんと答へたり。良沢これを聞き、悦喜斜めならず。しからば善はいそげといへる俗諺もあり、ただちに明日私宅へ会し給へかし、如何やうにも工夫あるべしと、深く契約して、その日は各々宿所宿所へ別れ帰りたり。