蘭学事始 - 03

一、また栗崎流といへるは、南蛮人の種子なりと。これは南蛮邪宗の徒厳禁となり、その船の渡海も御禁制となりたれども、以前は平戸長崎の地にかの人々雑居し、妻を持ち、子も有りしが、後々これをも吟味ありて、蛮人の種子の分は残らずこの地を放流せられしが、そのうち栗崎氏にて名はドゥといふものは、かの地に成長してもその宗には入らず、その国の医事を学びしが、邪宗に入らざる訳を以て帰朝を許され召し帰され、長崎へ帰りし後、その術を以て大いに行はれ、至って上手なりしが、人々栗崎流と称せしよし。名のドゥといへるは蛮語露の事なるよし。後に文字を填めて道有と認めしとぞ。今の官医栗崎君の祖なるや、また別家の栗崎なるや、詳かなることは知らざるなり。吉田流、楢林流などいへる流儀は和蘭通詞にて、かの方法を学び、一門戸を開きしなり。