一、その頃西流といふ外科の一家出来たり。この家は、その初め南蛮船の通詞西吉兵衛といへる者にて、かの国の医術を伝へ、人に施せしが、その船の入津禁止せられて後、また和蘭通詞となり、その国の医術も伝はり、この人南蛮和蘭両流を相兼ねしとて、その両流と唱へしを、世には西流と呼びしよし。その頃は至って珍しきことにてありければ専ら行はれ、その名も高かりしゆゑにや、後には官医に召し出され、改名して玄甫先生と申せしよし。その男宗春と申されしは多病にて早世し給ひ、家絶えしとなり。これわが祖甫仙翁の師家なり。その後召し出されし今の玄哲君の祖父玄哲先生は、玄甫先生の姪の続きなりとなり。右の玄甫先生、初めて西洋医流を唱へられしより、公儀にも御用ひ遊ばされしことにて、和蘭医事御用に立ちし初めなり。



